今日はパソコンのメールをいじっていたら、受信メールが、いつもなら新しく届いた順に並ぶのが今日は送信者順に並ぶような仕様? になってしまって、そしたら一番上にきたのが私が大学一年生の夏に参加していた公演関係のメールだった。
懐かしいなぁと思って。あの頃はじいちゃん生きていたなぁとか、私もまだ、十代だったんですかとか思って。そのときの自分と地続きになったような感覚に襲われたのだけれど、困ったのが、私は戯曲をはじめて書いたのが大学一年の秋で、で、大学一年の夏っていうのは、まだ戯曲を書いたことはないけど書いてみたいなとは思っていて、とりあえず会話を書けばゆくゆくは戯曲になるんだろうと思って会話のみの短い作品を二つ書いた頃。ひとつは『踊る大捜査線』でいうスピン・オフもので、その年の六月に私が役者で参加した作品に、名前だけ出てくる看護婦さんがいたのですが、その看護婦さんを主人公に据えて、彼女がある患者さんを、他の患者さんのコロッケを食べたといって怒っている作品。そしてもうひとつは、これはオリジナルで、私が父のことを、私の携帯を勝手に見たとかいって怒っている作品。共にA4一枚。
その頃と地続きになったような感覚に襲われたのでした。
仮にも私は『褒め殺し』を、人に頼まれて書いているのですが、何がなんだかわからなくなってしまって。「馬鹿じゃん」と思われかねない構造を、当作は持っていて、もちろん「敢えて」そうしていたのが本当に「敢えて」いたのかとかわからなくなってしまって。
突然パティシェの話だけれど、例えば上のような状態に陥ったとき、戯曲だったらしばらく寝かせてみましょうとか、普段の感覚が戻ってくるまで待ってみましょうとか、対策をとるわけだけれど、パティシェはどうするのだろう。例えば今日の私みたいに突然自分の技術がどれくらいのものかわからなくなって、「なんで私、いまラム足した?」とかわからなくなってしまって、ついには何が美味しいかもわからなくなってしまって、でも味覚を寝かせるわけにはいかない…… と思うのだけれど。っていうのは、「戯曲を読まない期間」は作れても、「ものを口にしない期間」はなかなか作れないから。あるいは、普通に食事をしていれば味覚は休まるのだろうか。
