破壊的な足うら
  

  『破壊的な足うら』
               黒川陽子
 

おれは片足立っていた。冷え切った夜明け前の台所で、バランスをとり、テレビをにらみつけていた。こうしてもう二時間が経つ。傍目にはさぞかし酔狂と思われることだろう。しかしこれは人類の未来を占う、そしておれの報われない愛の結晶としての、史上最大級に偉大な片足立ちなのだ。
ことの発端は昨日の朝、おれは締め切り間近のグラビア写真を会社にとどけるため、秋葉原の街を全速力で走っていた。季節は冬なのに周囲には「オタク熱」とでも呼ぶべき鬱陶しい暑さが充満していて、額から背中から容赦なく汗がふき出した。そのときだった。ズボンのポケットに入れた携帯電話がものすごい勢いで振えはじめたのだ。編集長がとうとうしびれを切らして電話してきたのかもしれない。おれはなお秋葉原の街を全速力で進みながら、写真を抱えていない左手で携帯電話を出した。
「はい」
「ね、ね、ねねね、近くにテレビある?」
アキだった。おれの同棲相手。フリーターで、昼間はふつう家で寝ている。
「いま忙しいから切るね」
「ちょっ、それどころじゃ……」
おれは電話を切った。数秒も待たずして再び電話がかかってきた。
「テレビ見てみてよ。すごいんだから」
アキがひどく興奮した声で叫んでいる。
「戦争が始まったみたいよ!」
見ると、少し先の電気屋の前に小さな人垣ができていた。どうやら全員、ウインドウの中のテレビを覗き込んでいるらしい。おれは重なり合っているオタクたちをかき分けてウインドウの前に立った。
「なんにもないじゃないか」
ガラスのむこうのテレビに映し出されているのは、一面真っ黒な大地だった。音声はなく、画面はただ静かに、静まり返った黒い大地を映している。
「いま止まっただけなのよ。さっきまで爆発がぽんぽんぽんぽんすごかったんだから……」
アキが震えた声で言う。おれはそのまま少し待ってみたが、爆発どころか画面には猫一匹横切らなかった。
「仕事中だから切るよ」
おれは電話を切り、電気店の前を離れた。すぐにまたアキから電話がかかってきていたようだったが、おれは無視した。
会社に戻り編集室に飛び込むと、様子がおかしかった。明日が入稿日だというのに誰一人デスクについておらず、一方、隣の休憩室のテレビの前に人だかりができている。皆熱心に画面を覗き込んでおり、「スクープ」や、「国連」といった言葉と共に、音量を最大にしたと思われるテレビから花火のような爆発音が連続して聞こえていた。
「どうしたんですか」
おれは人だかりの後ろにいた岡部さんに声をかけた。
「自爆テロじゃないらしいんだよ。規模がでかすぎるし、朝からずっとだぜ」
要領を得ない。おれはジャンプし、人だかりのむこうにある4.2インチのテレビを覗き見た。
瞬間、画面の中央にあった果物屋が丸ごと吹き飛ばされた。
大規模の、しかも断続的な爆発が今朝からずっと続いているらしかった。現場の土地柄から最初は自爆テロかと思われたそうだが、あまりに長時間にわたる破壊に、にわかに戦争勃発説が浮上してきたらしい。湾岸戦争以来の規模と、一切布告のないまま続いている不可解な爆発に世界中のメディアが騒然としているらしかった。
おれは一人、デスクに戻った。戦争も気になるが、ともかくは今日締め切りのグラビアをなんとかせねばならん。写真の封筒をデスクに置き、椅子に座った。
「やんだぞ……」
瞬間、休憩室の方から驚いたような声があがった。
テレビの中の爆発が止まって静かになったようだった。おれは定規を取るため立ち上がった。休憩室で再び爆発音と、大きなどよめきが起こった。おれは定規を取り、再び椅子に座った。
「やんだぞ……」
驚いたような声が、再び休憩室の人だかりからあがった。
小便に行きたくなった。そういえば朝から走り通しで一度もトイレに行っていない。よく今までもったものだと思いながら、小走りで編集室の扉の方へ向った。まるでアニメのように、おれの走りに「ぽんぽん」という効果音がついた。
おれは立ち止まった。そして方向を変え、休憩室の人だかりに近づいた。爆発音が大きくなる。人だかりの後方から少し距離をおいたところで立ち止まった。
爆発音がやんだ。
おれは少し考えた。しばらく前にアキに無理やり連れて行かれた社交ダンス教室を頭に思い浮かべた。そしてにわかに小さくジャンプすると、うろ覚えの、サンバのステップを素早く踏んだ。
テレビの中の爆発が下手なサンバのリズムを刻んだ。

家に帰りついたのは十二時すぎだった。アキがひどく機嫌を損ねた様子で台所の椅子の上にあぐらをかいて座っていた。居間のテレビが、いまや焼け野原になり果ててしまった街の様子を上空から映し出していた。アキは責めるような目でこちらを見上げている。おれはため息をついた。
「仕事とワタシとどっちが大事?」
やっぱりきた。こうなったときのアキは始末にならない。冷たくしたことを謝り続け、彼女が忘れるまでひたすらこき使われる。根が暴力的な女なのだ。でも今のおれに、そんなエネルギーはなかった。
おれはまたため息をついた。そしてふと、思いついた。今やうっすら涙を浮かべているアキに、
「見ててみそ」
一言言うと、おれは昼間よりは少しうまくなったサンバのリズムを刻んだ。しばしの小休止状態にあったテレビの中の街が、サンバのリズムに合わせさらに粉みじんになった。
アキは最初、意味がわからないようだった。ぽかんとしておれとテレビを見比べていたが、
「パソドブレ」
おれは言われたとおりに闘牛士の力強いステップを踏んだ。焼け焦げた真っ黒な街が、まるで黒い猛牛のように激しく揺れた。
アキが微笑んだ。え〜すごーーーーーいね。と小さく拍手しながら、立ち上がり、おれに近づいた。そしておれの腕を彼女自身の腰にまわし、彼女がリードするようにして本格的なパソドブレを踊りはじめた。彼女にリードされておれも動く。おれのステップに合わせ、テレビが一拍遅れで重低音を刻んだ。アキが歓声をあげた。一気に機嫌が直ったみたいだった。
それからはサンバ、タンゴ、クイックステップと、彼女の好きな激しいダンスをメドレーで踊った。チューハイの缶をあけ、疲れていたおれはすぐに酔いが回って上機嫌になった。アキも最高に興奮している。ここ数ヶ月見なかったほどの素晴らしい笑顔を見せ、深夜のダンスパーティーはいよいよ熱を帯び始めた。アキがはしゃいでテレビをぽんぽんと叩いた。爆発音が轟く。おれも楽しくて笑った。アキがきゃっきゃっと、少女のような声を出した。髪に手をかけしなをつくった。そして、
「ねぇ」
一転、蒼い顔をしている。
「場所がね、はじめ中東で、次にモンゴル辺りで、次に中国で、さっき日本海だったの」
「……」
おれも気付いていた。今テレビが映し出しているのは外国の街なんかじゃない。そして爆発音が、いつからか二重に聞こえるようになっていた。一つはテレビから。そしてもう一つは…… おれは窓に近づこうとした。
「動かないで!!!!」
アキがおれを見ていた。怯えと、憎悪の混じったものすごい目だった。
アキは一目散に外へ飛び出した。追いかけようと一歩を踏み出したとき、近所で大爆発が起こった。幸い、彼女が行ったのとは別の方向だ。でも家が軋んだ。おれは片足立ちで止まった。

それから二時間。陽が昇り始めた。鳥の声は聴こえてこない。
アキは……
もう逃げおおせただろうか。太ももがパンパンに張っていた。この足を下ろしたら次は家ごと吹き飛ばされるに違いない。せめて彼女が危機地帯を脱する間、足を上げ続けているつもりだった。
考えてみたら社交ダンスとか踊るべきではなかった。この数時間で、何千何億という尊い命が失われたか知れない。でもおれは、アキを楽しませたかった。彼女を愛していたのだ。そう、結果怖がられることになったが、おれは後悔はしていない。彼女を楽しませ、そして――

そのときドアが開いた。アキが涙で顔をぐちゃぐちゃにして立っていた。
「やっぱり離れられない!!」
抱きついてきた。右足がクイックステップを踏んだ。




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【2008/01/21 15:06】 | 『破壊的な足うら』 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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