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劇団民藝の機関紙「民藝の仲間」5月号に、「悲劇に響き渡る「笑い」〜アーサー・ミラーの魔術」という文章を書かせていただいています。
修士論文で扱った内容を元に、ミラー作品における「笑い声」の位置づけを紹介した文章です。こちらは劇団民藝の会員の方に送付される機関紙とのことなので、目にする機会がありましたらぜひ、ご一読いただければと思います。 |
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湯船に柚子が浮いているとギョッとする。
うちでも年に一度くらいは「柚子風呂☆」とか言ってお風呂に柚子を浮かべたりするのだが、そう前振りされていても、蓋を開けて柚子があるとビクつく。たぶん「何もない状態」が湯船の常態としてインプットされていて、無意識のうちに異変を察知するのだと思う。 今日は台所の椅子にブロッコリーが落ちていた。それでも私は普通に座って昼食を食べ(踏んでしまったかは不明)、そこにブロッコリーがあるということに気付いたのは、その後デザートを探して台所をうろついている最中だった。私の席はみんなの「通り道」的な場所にあるのか、わけのわからないものが落ちていることが、割と常態としてある。悲しい。 |
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『褒め殺し』初稿ができあがる。
たぶん、後半をもっとぴょんぴょんさせることと、構造をくっきりさせることの2点が必須である。 けれどもさしあたっては、今回「書いて★☆」と言ってくれた佐々木氏の反応を待っているところである。 |
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河豚食う無分別、河豚食わぬ無分別
→河豚の毒のあるのをかまわずに食うのは無分別であるが、中毒を恐れてそのおいしさを味わわないのも無分別である(広辞苑)ふぐとはやっぱり、普通のお友達にはなれない。 |
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一昨日は友人とドーナツやさんに行って、ドーナツを食べ、残った二つのドーナツを二つとも私が家に持ち帰ってきてしまったのですが、そういうわけで昨日は午前中に一個、そして午後に一個、私はドーナツを食べました。
それで、夕飯がカレーで、母がお皿に盛っていたので、「さっきドーナツ食べたから、私の少なめにして」って言ったんです。そしたら「了解」って。 ここで重要なのが、うちにある食料はだいたい母がスーパーで買ってきたものだということで、そうでなく、例えば私や父が外でお菓子を買ってきた場合でも、なんとなく自己申告で居間のテーブルの上に置くことになっているのです。つまり母は家にある食料はだいたい把握している。そんな中、そのドーナツに限っては私は自己申告をしていませんでした。つまり、母がドーナツの存在を知ったのは、「さっきドーナツ食べたから」と私が言ったときがはじめてだったわけなのですが、それに対し、「なんですかそのドーナツ」とはならなかったのです。同様に、近くにいた父も祖母も「ドーナツ! ドーナツ!」とはならなかった。出どころ不詳のドーナツに、みんな食いつかなかった。 みんな好奇心が不足している!!!! |
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